ステンドグラス〜ガラスが描く世界
世界でステンドグラスが発明されたのは、6世紀ころとされています。正式に記録が残っているものでも10世紀頃となっています。それでは、わが日本でステンドグラスが導入されたのはいつごろなのでしょうか。ここでは、日本におけるステンドグラスの歴史を追いかけていきましょう。

ステンドグラスの日本史

日本初のステンドグラス

日本に初めてステンドグラスが導入されたのはなんと19世紀。「ザンギリ頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」といわれた、明治の文明開化の頃だったといわれています。この時に長崎の天主堂にフランスから寄贈されたのが始まりとする説と、オランダの美術家が横浜に赤レンガ造りの建物を建てた際に、一緒に持ち込んだという説の二つがあります。いずれにせよ、日本ではステンドグラスはまだまだ歴史が浅いとみて良いでしょう。

しかし、この当時は「外国に追いつけ追い越せ」とばかりに、外国の文化・技術を貪欲に吸収していた時期で、当の明治政府も外国からさまざまな技術者・文化人を積極的に招聘していました。ちょうど、世界的にステンドグラスが見直されていた時期だったので、招聘された外国人たちは一緒にたくさんのステンドグラスを持ち込んできたのです。

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初の国産ステンドグラス

明治時代は、和魂洋才(日本人の魂は捨てずに西洋技術を学ぼうという意味)という言葉が示すように、西洋の技術を次々導入していった時期でした。当然ステンドグラスもいつまでも輸入だけではなく、日本人の手で作ろうとする動きが現れたのは当然の話です。

さて、肝心の純日本製ステンドグラスが完成したのは、1889年のことでした。明治政府の推進する技術留学のために、ドイツ・ベルリンに留学していた宇野澤辰雄氏が、帰国後にドイツ式のステンドグラスを完成させたのが始まりです。相次いで、遅れることわずか1年後、小川三知氏がアメリカ式のステンドグラスを紹介しました。

棲み分けの進んだステンドグラス

その後ドイツ式(ヨーロッパ式)ステンドグラスは建築用の窓ガラスなど、大掛かりなものに重点を置きます。アメリカ式のステンドグラスは「ティファニーテクニック」とともに、ランプやスタンド、パネルなどの室内装飾の分野に特化していきます。こうして自然とすみわけが出来たのですね。現在、皆さんがホビーとして楽しむステンドグラスは小型のパネルなどが多いので、普通ステンドグラス教室などで教わるのはアメリカ式ということになります。
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日本でのステンドグラスの隆盛

日本にはステンドグラスを生産する工房が300軒近くあるそうですが、そのうち1980年以降に設立された工房は全体の80%強を占めます。もう少しさかのぼって、1970年以降に設立された工房もあわせると、実に95%以上が1970年代以降に設立されているのです。つまり、日本は今がステンドグラスの旬の時期を迎えていると言えるでしょう。

日本では比較的小型のアメリカ式ステンドグラスが人気ということもあって、個人でステンドグラスを作ることを楽しむ人々などもおり、そうした人にステンドグラスの作り方を教える教室や工房も増えてきています。

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なぜステンドグラスは教会に多い?

日本でも天主堂とは教会の事ですし、世界に目を向けても、なぜかステンドグラスを使用している建物といえば真っ先に教会が思い浮かびますね。なぜ教会がステンドグラスを好んだのか考えてみましょう。まず考えられるのは、建築様式です。中世ヨーロッパに立てられた教会は天窓を含め、数多くの窓を使用していました。窓は貴重なデザインの一つであり、そのために華麗なステンドグラスが使用されたことがあげられます。

さらに、色とりどりのステンドグラスと、その透過光によって教会自体が荘厳的な雰囲気をかもし出すことが出来たこと。雰囲気作りですね。最後に絵付け式ステンドグラスが流行していた時代、モチーフに選ばれるのはやはり教会関係のものが多かったことなどがあります。特に昔は、字が読めない人が多く、聖書の一部を図案化してビジュアル的に見せていた側面もあったわけです。

もうひとつの“裏”事情

ガラスをいくら冷やし続けても、結晶化はしません。固体の定義である、温度低下に伴う結晶化が見られないので、ガラスは個体の仲間には入れないのです。そのためガラスは異状に粘度が高く、剛性がある不思議な液体、ということになるのですね。ですから、長い年月がたつうちに、少しずつガラスはたれてきます。

一番良い例が、長い年月を過ごしてきたステンドグラスです。ちょっとみただけでは判りませんが、上に比べればやや下側が厚くなっているんですよ。ガラスが少しずつたれてきた証拠といえるでしょう。なお、近年では、ガラスも固体として認める説も有力になっています。

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